先日、友人とのお喋りの内容が、なかなかおしゃれへの核心をついていたな、と思えるのでここに紹介してみたい。「高校生の頃おしゃれだった人に最近ばったり会ったのね。そしたらその人、ますます磨きがかかって、やっぱり素敵だったわ」「その逆に、十代の頃おしゃれに無関心だった人が、お金や気持ちに余裕ができたからって急におしゃれするってこと多いじゃない、やっぱりそういう人はいくらお金使っても素敵にはならないのよね」「そういう人多いと思うわ」それぞれに具体的な人々を思い出している。「おしゃれ心というのは美意識の問題だけど、やはり天性のものかしら」少しはそういうこともあると思われるけれど、十代の頃なら母親のアドバイスや友人の影響、そして今なら情報もいっぱいあるし、自分の感性を養う方法はいくらでもあるに違いない。「若い頃おしゃれにうつつを抜かしていると勉学と両立しないのでは、と後ろめたくもあったけれどね」「それは絶対ないわよ。おしゃれであることは勉強と同じぐらい大事にしなくちゃ」と四十代の二人、高校生の頃の自分たちにすっかり戻っていた。私の娘が今、その真っ盛りでおしゃれが楽しくて仕方ない。流行ということもあってか、トラディショナルないいものに目がない。お金が大変、といいながらも拍手を送っている。年齢を重ねるごとに、今まで似合って着ていた服とさよならをする。ジーンズとさよなら、Tシャツとさよなら、ダンガリーとさよなら、ジャンパーとさよなら、シャンパースカートとさよなら、安い可愛いアクセサリーとさよなら、といったふうに、それぞれとさよならしながら今に至る。そのさよならの時期は突然やってくる。鏡に向かってそれに気づくときもあれば、娘に指摘されることもある。体型的に無理ではけなくなったりするもの、などいろいろで、悲しいけれどやはりそこですっぱりと諦めなければならない。悲劇なのはそれに気づかず、ズルズルと若い頃のものを着ていたり、無理に自分の体型に押し込めたりしている場合だ。それを口に出して押し止められるのは家族しかいない、と思う。私は親切だとは思っても親友にそれをいう勇気はない。